金森敦子

いったいどれほどの人びとが伊勢へと出かけたのだろうか。 伊勢への旅というと、お蔭参りを抜きにしては考えられない。お蔭参りは伊勢を信仰したために病気が治ったとか、思わぬ幸運に恵まれたといった人の、お礼の参拝からはじまった。伊勢の利益はそれほど絶大だという噂がたちまち広まって、その利益にあやかろうという者たちが、一行に加わって伊勢へと向かう。他の地方にもそうした噂が飛んで、そこでまた伊勢へ向かう一団ができる。こうした集団は道中を進むたびに参加者を増やしながらふくれあがっていったという。 突然参加する、彼らは着の身着のままの無一文。旅費はもちろん、往復手形の用意もないし、親や主人に、無断で出てきた者もいる。旅の支度はなにもしていない。こうした一団は熱に浮かされいて、足りないものがあると、沿道の物持ちの屋敷に土足で上がり込んで、必要なものを奪い取りかねないと思われていた。だから前もって大量の炊き出しをして待ち受け、事なきを得た金持ちもいたし、素朴な好意から率先して喜捨をする沿道の人びとも少なくなかった。食べ物もわらじも、時には寝床さえも、こうして無料で提供された。厳しい取締りで知られていた関所でさえ、お蔭参りの一団が押し寄せると、門を開いて通すしかなかったという。 だからこうした一団に加われば、旅の用意など一切が不要だったのである。